2021/03/11
あれから10年…
今日で東日本大震災から10年ですね。少し当時の事を思い出してみようかな。
あれはハローワークへ向かう途中だった。
最初はパンクでもしたのかなと思った。
走行中の車内でもそれほど大きな揺れを感じた。
地震だと確信して路肩に車を止めたら近くの会社の人たちが外へわらわらと出てきた。
電線が大きく揺れて中々地震がおさまらない。
止まった場所が海の近くの川沿いだったのでこれだけ大きな揺れだともしかしたら津波が来るかもしれないなと思って身の危険を感じながらすぐに家にUターンした。
家に帰る途中信号機が停電していて地震の規模の大きさを知った。
家に帰ってからの記憶があまりないのだけれど震度4~5くらいの余震が続いていて親に家から出るように促すも両親は危機感が全くなくて家から出ようとしなかった…
停電になったので情報を得れるのは1階にあるラジオとガラケーのワンセグだった。
一人でワンセグを見ていて津波で酷いことになっているのが分かった。
家の人は誰もそのことを知らなかったので停電が復旧してテレビを見て父が思っているよりもひどい状況だなとかのんきなことを言っていたのを覚えてる。
幸い自分の家は海から近いものの高さがあったので被害は受けなかった。
停電していたのは何日くらいだろうか。
幸いにも水道は使えたので水の苦労はしなかった。
一階の洋間の反射式ストーブで寒さをしのいだ。
当時思っていたことはBBQルームの立派な薪ストーブがあるのに父がそれを家族のために使おうという発想がないことに苛立ちを覚えた。
薪ストーブなら震えることなく寒さをしのげるのに自分の為にしか使わないんだなと悲しくなったというかなんというか。
カセットコンロが無かったのでカセットコンロとガスを買いに停電中でも営業してくれていたホームセンターのサンデーへ行った。
カセットコンロが一つだけ残っていたので幸運にも手入れることが出来た。
でもガスが売ってなったので今度はガスを求めに隣のサンワドーへ行ったら残り数缶というところでこれまた幸運にも手に入れることが出来た。
物流が止まっていたのでスーパーにはあまり食材がなかったかな。
牛乳もよこまちストアだけが大野村の牛乳を仕入れていてそれでよくよこまちストアへ行っていた。
水は出るけれど電気が止まっているのでお湯がつかえずにお風呂に入れなくて流石に臭いが気になってきて寒かったけれど我慢して水シャワーを浴びた。
とてもスッキリした。
スッキリした自分は無神経にも家族に臭うよとか言っていた記憶がある。
姉に分かってるよ!とか言われたっけ…
そういうところがあるんだよな自分は…
あとはガソリンが無かった。
丁度地震発生した時にガソリンを詰めようと思っていたのだけれど詰めないで帰ってきたので自分の車のガソリンがすっからかんだった。
幸運にも母の車が4ぶんの3くらい入っていたので母の車で行動した。
ガソリンを詰めれるスタンドを探し回って携行缶に20リッターだけ詰めてもらうことが出来てそれを自分の車に詰めたっけ。
停電は1週間も続かなかったように思う。
4、5日目くらいには復旧してお風呂に入れたような記憶があるな。
食事は主に鍋だったような記憶がうっすらある。
携帯の充電は車でしていて近所の人にも頼まれて充電したっけ。
電気が復旧してテレビを見られるようになってネットも数日後にはつながるようになってピグともさんと再会できた。
一番気がかりだったのは福島の原発だった。
メルトダウンしたら東京くらいまで住めなくなるんじゃないだろうかと心配していた。
今思い出せるのこれくらい。
当時の緊迫した状況とかはあまり思い出せないな。
薬のせいかもな…。
いつになくまとまりのない文章になってしまったけれど震災時の事を思い出してみました。
今日のポジティブ日記
ゴミ出しした
サラダ作った
日の出を撮りに行けた
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朝散歩行った
スーパー行った
家計簿つけた
海へ黙祷しに行った
お風呂掃除した
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